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[ショーシー 無 のプロフィール]

[子供の頃]

1951年 山形県米沢市に生まれる。
音学歴と言えるものは社会人になってからで、ギター教室に2年ぐらい通った以外は全て独学。歌は幼い頃から嫌いではなかったが、工作やメカニックなものの方により興味があった。小学3年生のとき母が歌を習わせようと音楽教室へ連れていったのだが、ピアノを習う女の子ばかりで、歌を習うのは自分だけだったのでとても恥ずかしい思いがして、結局一回も歌わずして、止めてしまった。
ペンネーム”しょうしいない”は米沢の方言で”恥ずかしいな”と言う意味。”しょうしいな”とか”しょうしいなし”とも言う。”笑止”という言葉が語源らしい。ちなみに米沢には”おしょうしな”という県内でも良く知られた方言がある。”お”がつくかどうかの違いなのだが、これは”ありがとう”の意味でまったく別の意味になる。

[音楽に興味を持った頃]

大学でロックバンドをやっていた友人の影響で音楽に目覚める。彼にコードを付けてもらい、初めて作詞作曲をしたのもこの頃。ピンクフロイドとかタンジェリンドリームの曲をよく聴いた。ピンクフロイドのエコーズをラジオで耳にし、衝撃を受けてレコードを買った。これが初めて買ったレコードである。新宿の路地裏に海外版レコードを売る店があり、そこで見つけた”サードイヤーバンド”(3番目の耳と言うらしい)の”天、地、火、水”というレコードも衝撃だった。説明が読めないので詳しい内容は理解出来なかったが、私の作品にもその影響を受けたものがある。残念ながら彼らの他の作品は見つけることが出来なかった。月に6000円の家賃でアパート暮らしをしていた私にとって、当時のLPレコードは3000円もしたので、そうそう買うことは出来なかった。今振り返ると20代は荒削りだが、大胆な発想や感性が今より優れていた気がする。

[DTMとの出会い]

30代は創作が殆ど出来なかったが、自作の曲を作品にする手段はないものかと常に考えてはいた。タンジェリンドリームなどからシンセサイザーとシーケンサーを組み合わせて自動演奏をすることが出来るとは知っていたのだが、あまりにも高価で手が出せなかった。やがてヤマハからQY10というシーケンサーが発売され、安価だったこともあってすぐに購入、これが私のDTMの始まりである。以前音にならなかった曲を入力して聴いたが、演奏ツールとしてはあまり役に立たなかった。その後PCが発達してDTMが普及したので40代になってPCを購入した。ローランドのBallad3を導入した時、これは使えると思った。DTMは音響知識や技術のない私にはとても難しく、思うようには出来ないが、楽器を習得するのに比べたら、私には楽である。音楽の楽しみ方が聴くだけから、誰でもが作るようになる時代が来ていると思う。誰でもが家庭料理を作るように。
数年前に”DTM作曲コンテスト”(今は名前が変更になってクレオフーガ)なるサイトを見つけ、投稿するようになった。いろいろな作品、作家に触れることで非常に刺激になり、また楽しませて頂いている。M3もこのサイトから紹介されたのが始まりである。

[歌のレッスン]

最近年のせいか、難しい曲を作り始めた為か、息が続かなくなりボイストレーニングの為にDivaluxeという教室に2年前から通い始めた。今回のCDに協力して頂いたのは、私の先生と生徒さんです。子供の頃やり残したことを今になってやっている。

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